勉強だって複利で考えなければいけない

前から思っていた事に、勉強して知識を付けていく事は複利のように増えていく、という事だ。

 

それは小学生や中学生、高校生など色々な学年に教えていて感じる事だ。

 

そしてそれは自分で勉強をしていも感じる事。

 

例えば漢字の勉強をしている時、パット見て分からない漢字が出てきたとしよう。

 

『不幸なキョウガイに置かれても一生懸命頑張ってきた』

 

片仮名の部分を漢字に直すように指示をされた。

 

勉強が出来ない子・苦手な子は『キョウガイ』という字のみを頭の中で必死に検索をかけるだろう。

 

しかし勉強が進んだ人や子は、『キョウガイは生涯と響きが似ている?』『キョウガイを境遇という言葉に変換したら意味が通りそうだ』などなど、色々な角度から問題を分析する事が出来る。

 

これが出来るようになるためには、少なくとも『生涯』という字、『境遇』という漢字を書けるだけでなく、その意味や使い方を知らなければいけない。

 

知識が何重にも必要となってくるのだ。

 

逆に言えば、何重にもなっている知識があれば答えを導き出せる可能性もある。

 

そし、一度分かってしまえば、それらの知っている言葉の言い換え表現である事から、知識としての定着も早い。

 

今までに積み重ねてきた知識のお陰で、分からない問題にも対応しやすいし、定着も早くする可能性を秘めている。

 

知識の量はだから、沢山あればあるほど、整理されて覚えられているほど良い。

 

それは、後から学んだ知識の理解や定着に大きく寄与するから。

 

勉強は一次関数的に出来ていくものではない。

 

複利のように、初めは少ない知識量しか増えていかない。

 

だけど、繰り返していくうちに複利の力でとてつもない数になっていく。

 

その複利の力を発揮するためには、コツコツと継続していかなければいけない。

 

 

 

と、真面目に語りました。

 

偶々、部屋に合った本『シリコンバレー最重要思想家 ナヴァル・ラヴィカント』の表紙を見た時に、複利の話を思い出しました。

 

これは勉強にも通ずる話だな~、と思っていたのに語っていなかったと思って書きました。

 

実際に複利の力を理解して自分で勉強出来る生徒は多くないです。自分もそうだったしね。

 

だから、この話は自分への戒めも含むし、未来の自分への希望も含んで書きました。