中学生の数学が出来なくでもなれる大学生とは

愚痴というか、疑問というか、問題提起というか、

 

どの分野に分ければ良いのか分からない話。

 

中学生の基本的な数学の問題が出来なくても大学生になれるようだ。

 

大学の試験の種類によっては『国語』と『英語』のような2科目受験の大学もある。

 

だから、中学校の数学がズタボロでも、高校生で英語と国語をそれなりに頑張れば大学に入る事が出来るのだ。

 

だけど、中学生程度の数学が出来ないまま大学生になれる事に対して違和感を抱いてします。

 

これが、どのような考えからくる違和感なのか、鮮明に言葉に書き表す事が出来ない。

 

考えられる要因としては

①中学校数学の内容を僕が誰でも出来るようになるものと認識している

②中学校数学の内容は抽象度が少し上がった内容のため、論理的に物事を考えるための出発地点だと考えている

なのかもしれない。

 

 

この①に関しては、僕の中で反論がある。

そもそも”出来る”の定義とはいったい何なのだろうか。

中学生の教科書の例題レベルの問題が出来ている事なのか、

中学生の教科書の章末問題が出来ている事なのか

都道府県の入試レベルの問題が100%出来る事なのか

都道府県の入試レベルの問題が決められた制限時間内で100%解ける事なのか

灘や開成のような学校のレベルの問題まで解けるレベルまで持っていく事なのか。

その定義が定かでないのに、一括りに『中学校レベルの問題が出来る』と言うのは、あまりにも雑な問題提起だ。

 

 

これが灘や開成レベルの問題まで解けるという話しだったら、僕だって難しいだろう。

都道府県の入試問題レベルを100%解ける、というのも疑わしい教育関係者が出てくる。

 

 

②の抽象的な考え方によって論理的に物事が考えられるのも、疑問が残る。

高校数学と線引きをする意味は一体何なのだ??

 

 

色々、よくわからん話をこねくり回した。

それらを書いていて僕の中の頭の中にあるのは、

 

”義務教育レベルの問題が自分で考えて解く事が出来ない人間が大学に行っても良いのだろうか?”

である。

 

その能力が無いのであるならば、大学に行っても課題をこなす力はつかないだろう。

 

だから、大学で何かを自主的に学ぶ事が出来ない可能性が非常に高い。

 

大学は小中高程、手厚く保護してくれるわけではない。

 

そんな中で大学生活を過ごしても、ただ空虚な時間になるだけだぞ。

 

そんな考えが頭の中にあるのだと分かった。

 

ポイントなのは”義務教育”なのだろう。

僕の中の線引きがそこにあるのだ。

 

 

少しスッキリしました。

 

もちろん、”義務教育程度のレベル”をどこまで細分化するかは依然として頭の中で残ってはいるが。

 

 

 

そして、こんな事に頭を悩ませている。

 

間違いなく、悩みモードに入っている証拠だ。

 

教室の中が、上手く回っていない感覚が強い。

 

もちろん、他の教室長からはそのように見えないだろうが、むしろ調子が良いように見えているだろう。

 

事実、会社が求めている数値上は良い。それは僕も自覚をしている。

 

だけど、子供達に対する教育の部分が、改善点が多い、表面化している。

 

頑張れ。