昨日、講師に研修をしていてふと感じた事。
子供達はいずれ社会に出て、自分の役割を果たさなければいけない。
それは、どこかに就職して仕事をこなすのかもしれない。
自分で事業を立ち上げて仕事をするかもしれない。
家庭に入って家の事や子供達のお世話をするかもしれない。
もちろん今の時代なら、仕事に家庭にどちらの事もする事になるだろう。
その中で、やりたくなくてもやらなければいけない事って絶対に出てくる。
仕事でも家庭の事でも、どちらでも。
生きていく上では、自分の意志とは関係なくやらなければいけない事が沢山出てくる。
ここで視点を大人から子供達に移そう。
子供達は、生きていく上でやらなければいけない事は極端に少ない。
ご飯は両親が用意してくれるし、掃除も洗濯もしてくれる。
何かをやるためのお金も基本的には親が出してくれる。
何かをやらなければ生活が立ち行かない、という状況は基本的には発生しない。
だから、子供達はやらなければいけない事をしなくても良い状況ではある。
親の庇護下にいる限りは。
だけど、ずっと親の庇護下にいる事は出来ない。
だから、疑似的にやらなければいけない事を作らなければいけない。
そのやらなければいけない事は、家庭によって様々だろう。
何かのスポーツかもしれないし、課外活動かもしれない。
ただ、多くの人に共通して”やらなければいけない事”として認識されているのは、勉強だろう。
そう。勉強はやらなければいけない事なんだよね。
子供達は生きていく上でやるべき事というのは基本的には無い。少なくとも子供時代には。
(もちろん、家庭の事情や時代で異なるからね)
だから疑似的にやるべきことを作って、”やりたくないけどやる”という習慣を付けなければいけない。
そんな考えを放棄して、子供に無理強いするのが可哀そうだから~、なんていう親。
良くないよね~。
確かに出来ない事を無理やりやらせるのは可哀想だよ。
じゃあ、少しは出来るようにしてあげるのが親の努めでしょ。
そうやって出来ない子供の課題の壁を低くする工夫をしようよ。
塾に必ず入れてくれとか言わない。一緒に勉強するでも良いんだよ。
一緒に頭悩ませればいいんだよ。
子供の事を思うなら、勉強はやらせよう。
やるべきことをやる習慣を付けさせるためにね。
そんな事を、昨日思った。